今日もよい日

今日もよい日

ストレスのお薬としてのヨガ。お医者さんたちも、ヨガと瞑想に注目しています。

『ガンジスに還る』 を観ました

 

 

踊らないインド映画を観てきました(笑) 

 

 

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 こっちは踊るやつです(笑) 4Kになって12月に上映されるようです。

 

 

 

今回観たのはこちら ↓

あらすじ

自らの死期を悟った父 ダヤ(76歳)が望んだのは、ヒンドゥー教徒にとっての聖地バラナシで人生の最期を迎えること。しぶしぶ、仕事人間の息子 ラジーヴが付き添い、たどり着いたのは、安らかな死を求める人々が暮らす施設「解脱の家」。しかし父 ダヤは死を迎えるどころか、生き生きと人生を謳歌し始めて…。

旅立つ者の心の動き、それを見守る家族のまなざし。果たしてダヤは幸福な人生の終焉を迎えられるのかーーー?

(フライヤーよりお借りしました)

 

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観た感想

 

映画の内容が内容なので、しみじみとしていて、ちょっと寂しいような映画でした。クスっと笑っちゃうところもところどころにあります。

色彩で言うと、靄のかかったオレンジ色。

 

シタールで奏でられる心地よい音楽が、同じメロディーをリフレインしているからか、隣の席の女性は開始10分ほどで眠っていました(^_^;)

物語に起伏がそれほどないからかな(^_^;)

 

昔人間の父親と、仕事中毒の息子がぶつかり合いながらも、少しずつ心が近づいていく、というのが、物語のメインです。

 

父 ダヤは昔、学校の先生をしていて、息子は生徒としての関わりもあり、他の生徒の問題を息子が背負わされるという場面もあったようで、父子間のわだかまりはこの頃から芽生えていたような感じです。

 

物語のはじめ、父親は「人生にもう疲れたのだ」と言っていますが、解脱の家に着いてから、それまでの鬱屈した感じが消えて、とても生き生きと毎日を過ごします。

 

これまで背負ってきた人生の宿題みたいなものからやっと解放され、死ときちんと向き合うことが出来た結果なのかなと思ったりしました。

 

 

死ぬことは平等にみんなに訪れますが、未来のその時のことを家族で話すことは日本ではなんとなくタブーな感じがあります。

 

最近ようやく、終末期医療をどこまで施すのか家族で話し合っておきましょうという流れがありますが、まだまだです。

 

この映画を観ることで、最期どうありたいかを私自身も考えたりすることができたので、観に行ってよかったなあと思っています。

 

 

映画のポスターにもありますが『また会う日まで』というフレーズが気になっていました。

 

映画の中で息子ラジーヴが「来世があるとして、生まれ変わったら、また同じ家族に?」と父親に問いかけます。

 

父親の答えは「ライオン」「カンガルー」です(^_^;)  ←詳しくは映画をご覧ください(笑)

 

これはきっと照れ隠し。『また会う日まで』が答えなのだと思います。

 

 

ガンジスに還る』。

小さな映画館で上映されていて、いつまで上映されるのか未定なようです。

興味のある方はお早めにどうぞ(^_^)

 

 

ちょっとネタバレ込みの感想と補足みたいなもの(笑)

 

これから観に行かれる方は読まない方がいいかもしれませんので、ちょっとスペースをあけます(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親子関係

インド人のヨガの先生がおっしゃっていたのですが、インドの親子関係、特に父と息子というのは、絶対的な上下関係があるそうです。

だから「日本で息子が父親をないがしろにしているというのは信じられないよ!」ともおっしゃっていました(^_^;)

映画の中で、息子が父親の足に手で触れる場面がちょくちょく出てくるのですが、あれは尊敬の気持ちを示すためなのだそうです。

尊敬の気持ちを示す場面はあっても、この親子はあまり仲良くない様子。

映画の後半、父 ダヤが息子 ラジーヴに「お前は私のものだと思っていた」と謝罪するのですが、実はこの息子も、自分の娘に対してのスタンスが似ていたりします。娘がちょっとした騒動を起こすのですが、その時の対応の仕方や表情を見ていたら『お父さんと似ているなあ』と私は思ったのでした(^_^;)

人生の終焉を迎えようとしている父親と、ワーカホリックの息子では流れている時間も違うので、解脱の家での共同生活はぶつかり合いの連続。でも、生活を共にするうちに、少しずつ打ち解けていき、流れる時間も同じようにゆったりになっていきます。

 

 

オレンジの服(袈裟)を着た人たち

サドゥーと呼ばれる行者さんです。痩せているサドゥーは本気で修行に励んでいる人、なぜかぽっちゃりしているのはお布施目当てのなんちゃってサドゥーだと聞いたことがあります(^_^;)

映画に出てくるのは眼光鋭い本物。解脱の家に滞在しているのでしょうか。

 

 

解脱の家の主 ミシュラ

父親 ダヤは解脱の家に到着するや否や「ここは変わりませんなー。時計なんかもそのままだ。」と解脱の家の主 ミシュラに言っているので、以前にもここを訪れたことがあるのだとわかります。伴侶を連れて来たのか、自分の親を連れて来たのかはわかりませんが。

そして解脱の家の主は「私は人の死ぬ時期がわかるのだ」と映画の中で言っていて、息子ラジーヴがあるときこっそりと「私の父はいつ死ぬのか」と問います。

解脱の家の主は「答えを言ってしまったら、この能力は消えてしまう」と答えるのですが、これはでたらめや まやかしなどではなく、きっとこの人はインドで言うところの聖者なのだと思います。(物語の中で実際に解脱の家の主は、他の人の死期を言い当てるのです!)

聖者にはいろいろな力を持つお方がいて、例えば、写真を撮られても現像してみると絶対に写っていない聖者とか、思いつくままに香りを生み出す聖者とか、起きたままなのに身体活動の一切を停止できる聖者とか、飲まず食わずで生き続ける聖者とか……怪しいのでこのあたりでやめておきます(笑) 

 

詳しくは

ヨガは身体だけではなく、心のトレーニングだと思うのです - 今日もよい日

で紹介した本を読んでみてください(笑)

 

 

頭をごしごしこすること

予告動画にも出てくる場面ですが、川べりで息子が父親の腕をマッサージしています。ついでに頭をごしごししたりもしています。これはごま油であちこちをマッサージしているのです。

私もしてもらったことがあるのですが、結構激しめにごしごしされるので、髪の毛もお肌も傷むのではないかと思っていました(^_^;)

インドの人の健康法のひとつです。

 

 

雄の仔牛を用意すること

父 ダヤが解脱の家に事前に問い合わせをして「あらかじめ雄の仔牛を捧げておくように」と言われたのかもしれません。インドの古い慣習では、人が死ぬと仔牛を供物として神様に捧げると聞いたことがあります。

父 ダヤは、解脱の家に旅立つ前に、とてもかわいい仔牛を用意し、僧侶なのか祭祀を執り行う人なのかわからないですが、家に人を呼びます。あらかじめ仔牛を供物として神様に捧げるのでしょう。

息子 ラジーヴも、その娘 スニタも 仔牛を捧げる祭祀には全く興味がないようで、二人とも途中でいなくなります。そして執り行ってくれた人も、そそくさと仔牛を連れてどこかに行ってしまいます。

ダヤは一人取り残され、なんとも言えない途方に暮れた感じです。今どきの人(ラジーヴとその娘)と昔人間(ダヤ)との宗教観の違いみたいなものを感じさせる場面です。

 

 

ガンジス川

映画の中ではガンガーと呼ばれています。

ヒンドゥー教の聖地で、母なる河。

ご存知のとおり、お世辞にも清流とは言えない河(^_^;)  

工場の排水も、家から出た下水も流れ込むこの川で、人々は喜んで沐浴し(すべての罪を清めることができると信じられている)、洗濯をします(^_^;)

映画の中でも父親が「聖水を飲みたい」と言い、息子がガンジス川の水を汲みに来ます。川の水の表面をちょっとだけなでつけて浮いてるゴミを散らしてから、水を汲んでいます。そしてそれを飲む父(^_^;) ←おなか壊さないのが不思議

そして、解脱の家で誰かが旅立ちまして、その後、みんなでご遺体を担いでダート(川べりの階段上のところ)まで運び、ご遺体をガンジス川で清め、川べりで燃やします。

燃やした灰は、川に撒かれます。川に遺灰を撒くことが、この映画の題名の「ガンジスに還る」なのだと思います。ちなみに遺灰をカンジス川に撒くことで輪廻から外れることができると信じられているのです。

 

 

毎晩行われているプジャ(プージャ)

映画の中で唯一、華やかなシーンがあります。

それが家族みんな(父親、息子、息子の妻と娘、解脱の家で仲良くなった女性 ヴィムラ、あと親戚?)でプジャを見る場面です。プジャはヒンドゥー教の祈りの儀式です。

大きなボートにみんなで乗って、ダートで行われているプジャを眺めています。せっかく遠くから来たのでちょっと観光しよう、みたいな感じでしょうか。

浮くように作られているお花の飾りに火を灯して、川に浮かべたりしています。幻想的です。

父親 ダヤと、ラジーヴの娘、解脱の家で仲良くなった女性ヴィムラの3人は、やたらとハイになってボートの上ではしゃいでいて、息子 ラジーヴとその妻だけが静かに川面からプジャを眺めています。

この場面で思ったのが、ラジーヴの娘はまだ若いから死についてあまり考えていなくて気楽、父親 ダヤと解脱の家で仲良くなった女性 ヴィムラは、もうこの世への執着がなくて吹っ切れている、というのを「はしゃぐ」で表しているのかなあと。

息子とその妻は、父親が死ぬことを悲しく思ったりしていて、沈んだ感じ。対照的です。

実は3人が はしゃいでいる大きな理由として、別のことがあります(笑)

実は昼間、ラジーヴに内緒で、父親 ダヤと、ラジーヴの娘、解脱の家で仲良くなった女性ヴィムラの3人は、道端で売っていた怪しいクスリ入りのラッシーを飲んでいるのです(笑) 効き目が夜まで残っているのかも(笑)

 

 

最後に 

生まれることと死ぬこと

仏教以前のインドに輪廻(りんね)という考え方はすでにあったそうです。

生まれて一生を過ごし亡くなる、そしてちょっとの休息期間があって、またこの世に生まれて亡くなることを繰り返す、という考え方です。

 

日本では生まれてきたら「おめでとう!」で、死ぬことは悲しいことなのですが、インドの古い哲学では正反対で、生まれることは苦行の始まりでおめでたくなく、死は苦行の終わりなので喜ばしいことと聞いたことがあります(^_^;)

 

前の人生でどれだけ修行できたか、どんな行為を成して来たかが、今の人生に大きく影響していて、また今の人生をどう生きていくかで、次の人生の質が決まる、これはよく耳にする『カルマ』です。 

 

『行為の結果に執着しない』というのがヨガの哲学の中にあって、その考えから外れてしまう気もしますが、今の行いが次の人生を決めるのであれば、いろいろな経験を積んで、ヨガもして、次の人生を少しでもよいものにできたらと欲張ったことを思ったりも(^_^;)

 

「解脱の家」の「解脱」とは、何度も生まれ変わり、修行が続くという輪廻から解き放たれ、生まれ変わらなくてもいい純粋な存在になることです。

そこを目指してもいいのでしょうが、今の私ではなんとなく無理かなあ(^_^;)

 

でも、こういう映画を観て、自分のこれまでの行いや、立ち位置を眺めるというのも、よい修行(経験)の一環なのではないかと思ったりもするのでした。

 

ちょっと哀しくて涙が出たりもしましたが、観終わって、なんとなくすーっとした感じもあったのでした。

 

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読んで下さってありがとうございます