旅の途中、私の基礎がつくられた場所を訪ねてきました。
小学校低学年(入学前~3年生の途中まで)の頃に住んでいた場所です。
久し振りに見る町並み、見覚えのあるものが目に入るたびに興奮。
車を置いて、うろうろ歩き回ります。
住んでいたマンション。外壁の色が変わっていましたが、懐かしい。
マンションから少し歩いたところにある薬屋さん。
ここは幼馴染の家、まだお店はありました。
お店の前では薬屋のお母さんが近所の人と立ち話中。懐かしいお顔。
そっと通り過ぎ、その先にある大きなペット屋さんへ。
おしゃべりするオウムに会いに、よく通っていた場所。
お店のおじさんが時々缶ジュースををくれて。
お店の奥の飼育小屋には孔雀がいて、羽根を広げてくれるのを、座ってじーっと待っていたりしていました。
もらったうつくしい羽根、大事にしていたのにどこかに行ってしまった。
ペット屋さんも時間の経過を感じさせる外観でしたが、懐かしく嬉しい。写真を。
ペット屋さんからマンションへ戻ります。
薬屋さんのお母さん、立ち話がちょうど終わって、おうちに入るところでした。
おそるおそる声を掛け、名前を名乗ります。
「あー(^_^)」
憶えていてくれたようです。
実はコロナ前、私の母がこの界隈のママ友さんたちと旅行に行き、その帰りに薬屋さんに立ち寄っていて、それで憶えていてくれたようでした。
しばしお話。目頭が熱く。お元気そうでよかった。
その後は通っていた小学校へ。
入学式の日は桜が満開で、桜の木の下で撮った写真が残っています。
桜の木もまだありました。門の外から写真を。
こうしてぐるーっと歩き回ってみると、離れて点在していたはずの場所は、思いのほか狭い範囲に集まっていたことを知りました。
まだ体も小さかった私。外に広がる世界は大きい。
通学路は一面畑でしたが、その面影はもうなく、すっかり住宅地。
小学校の校舎もグラウンドも、記憶の中のそれらよりもうんと小さく感じました。
ここに住んでいた小学校1年生から3年生の途中までは、学年、男女関係なく、いつも近所の子たちとわーわー遊び回っていました。
男の子主導の日は、絶妙な木の上に秘密基地を作ったり、池の水面に平べったい石を投げ、跳ねさせる遊び。山に自生するアケビやフユイチゴを食べたり。
女の子がリードする日はお花畑(実は雑草)でお花を摘んだり、そのお花を秘密基地に飾ったり。
じゅうたん屋の子がいたので、秘密基地の床には、ゴミ置き場にあったじゅうたんの端切れを敷き、ずいぶんとゴージャスな床に(^_^)
日曜日はときどきお小遣いをもらって、自転車に乗り、少し離れた場所にあるフィールドアスレチックへ。
子どもたちだけの遠出(実は近い(笑))。
お小遣いでラーメン食べて。全てが冒険。
夏は海。
そしておまつりと花火。
近所のおじさんがうきうきするのを見て今年もそろそろおまつりの時期だなと察したり。爆竹を缶の中で爆ぜさせる遊びを覚えました(^_^;)
秋は小学校の運動会。
日曜日開催だったので家族も参加。
昼の休憩時間はみんなで大きな敷物の上に座り、お重に詰められたおにぎりやおかずを楽しく食べて。
お父さんたちは宴会(^_^;) おおらかな時代だったなぁ。
子どもだけでなく大人との関わりもたくさん。
幼稚園時代までとは違い、ぐんぐん世界が広がっていく。
小食過ぎて、給食の時間に辛い思いをしていた時期もありましたが、みんなで遊んでいるうちに体も強くなり、おなかも空くようになり、食べられるようになり、成長して。
転勤族の家の子どもだったのであっちこっちに住みましたが、この場所に住んでいた3年弱は強く記憶に刻まれています。
毎日が楽しくて、生きている実感が強かった時期だったと思います。
私の、考え方や性格の基礎みたいなものはこの時期がベースになっていて、その後の人生にも大きく影響しています。
あの時代にこの場所に住めてよかった。
そして今、再訪することができ、思い出を共有している人と偶然お話しできて。
私はここにいたんだという強い実感。
本当に嬉しかったです。
またいつか行くことができたら。
海が見える山が好き。低山にも登りました(^_^)