2022年のGWは、マインドフルネスの5日間のサイレントリトリートに参加していました。
歩く瞑想の時間も座る瞑想と同様に 45分間です。
歩く瞑想のやり方
1.立ち上がり、背筋を伸ばし、肩と腕の力を抜く
2.手を後ろか前で組むか、自然に垂らしておく
3.その姿勢のまま、体の感覚や心の中に意識を向ける
4.足裏の感覚を意識し、ゆっくりと一歩踏み出す
5.動きに意識を向けながらゆっくりと歩く
「片足が上がる」「その足が空中で前に移動していく」「床に足が着く」
6.ある程度の距離(ヨガマットの長さくらいでOK)を歩いたら、方向を変える。方向を変えるときも、足の向きや、重心のかかり方/変化などを意識しながら
7.歩くことから意識がそれたら戻す
8.ひたすら繰り返す
お寺で常行三昧体験をしたことがあるので、歩く瞑想のときの私の歩行はとてもゆっくりなものです。
とてもゆっくりにすると、集中しやすく、余計な考えが浮かぶ余地がないと気付いたので、それからはいつもとてもゆっくり歩いています。
1日だけ雨の日があり、その時は、靴下を脱いで、家の中をうろつきました(笑)
フローリングだったり、畳だったり、ヨガマットだったりと、地面の様子が変わるのを足裏でしっかり感じながら歩きました。
フローリングのとある場所を踏んでいる時、足裏にざらつきを感じ、掃除が行き届いてないことに気付きました(^_^;)
他の4日間は外へ。
あらかじめ、歩く瞑想によさそうな公園を近所に見つけていました。
・アップダウンがある
・草が生えている/土のところ両方がある(地面の変化)
・日陰になる木が生えている(光の変化)
・混雑していない(歩いていて怪しまれない(笑))
そんな公園です。
改めて公園で歩く瞑想をしていると、発見がいろいろありました。
咲き誇るツツジの香り、日差しの気持ちよさ、アップダウンのあるところを歩く時の呼吸と筋肉のきつさ(^_^;)など。
子どもたちの楽しそうな声は キラキラした感覚を伴って、耳の中に入ってきました。
お天気もよく、気温もちょうどいい。
幸せだなあ(〃'▽'〃)
でも どこかの国では戦争が起きていたり、日本でも悲しいニュースが。
私が今感じている幸せ感もずっとは続かないんだろうな。
幸せは当たり前ではなく、本当はありがたいこと。
さまざまな思いや考えが浮かんできたら、いったん立ち止まります。
思いや考えにフォーカスしたければ、立ち止まり続けたらいいですし、考えること、思いにふけることををやめて歩くことに戻ってもいいのです。
歩く瞑想は自由な感じがあるので、終日プログラムの時にも『一番好きだなあ』と感じていたことを思い出しました。
スモールグループのシェアの時間にこの歩く瞑想についてコメントなさっている人がいました。
私と同じように公園に出掛け、そこで耳に入ってきた【遊ぶ子どもの声】に対して、よくない感情が起こったというお話でした。
私は子どもの声から幸せを感じ、その人はそうではないものがあらわれた。
【同じ出来事に出会っても、反応はその人や置かれた状況によって変わる】ということを改めて思いました。
その出来事にべったり貼りつき、取り込まれてしまうのではなく、少し距離を置いたところから、俯瞰して眺めてみる。
または、その感情、感覚から、意識的にうんと遠く離れてしまう。
例えば テレビから聞こえてくる 悲しいニュース。
テレビを見続けることもできますが、テレビを消して違うことをすることもできます。
悲しいニュースは心をじわじわと削っていきますから、触れるのはほどほどに。
【よくない感情、反応が起こったことに気付けたら、その先どうするかは自分で選択することができる】ということを覚えておくことが、自分を楽にすると思います。
今回は45分の歩く瞑想が1日に2回×5日間入っていました。
しっかりと、ゆっくり歩きました。
予想していなかったふくらはぎの筋肉痛が起こり、それが結構長引いています(^_^;)
ものすごくゆーっくり歩くことは、ふくらはぎの筋肉を酷使するということに、今回初めて気付くことができました(笑)
つづく(^_^)