歌舞伎座に行った日は、月の輪郭がくっきりと美しい夜でした。
今日が千秋楽。この時間は助六ですね(^_^)
無事に最終日も終わりますように。
ふと思ったのが、歌舞伎座に来るのはいつ振りなのかなあと。
まだ歌舞伎3年生なので、歌舞伎を観るときはいつも筋書(すじがき)を購入します。イヤホンガイドも借ります(笑)
筋書にはあらすじとか物語の背景、美しい舞台写真が載っているのです。
わかりにくい演目もわかりやすくなるかな、と(^_^;)
家に置いてある筋書を見たら、前回歌舞伎座にお邪魔したのは去年の10月。
ヨガでおなじみ、マハーバーラタが歌舞伎として上演された月です。
歌舞伎座に来るのは一年振りでした(^_^;)
来年1月のシネマ歌舞伎、沓手鳥孤城落月(ほととぎす こじょうのらくげつ/玉三郎さんと七之助さん)も、去年10月の演目なのですが、マハーバーラタをシネマ歌舞伎にしてほしいなあと思ったりしています。
いろんな人と鶴妖朶(ずるようだ)を演じる七之助さんが、どれだけ素晴らしいかについて語り合いたいのです(笑)
追善公演、夜の部です。
宮島のだんまり
だんまりというのは歌舞伎の演出方法の1つです。
昔は電気などありませんでしたから、夜は完全な暗闇になるわけです。
その完全な暗闇の中で闘いを繰り広げるのを、歌舞伎の舞台上、照明が煌々と照らしている中で演じます(笑)
ゆっくりした動きの立ち回りです。
13人の俳優さんがいろいろな立場、いろいろな衣装で登場します。
中村屋兄弟は出ていません(^_^;)
『秋の厳島神社を背景に、歌舞伎でおなじみの役柄が勢ぞろいして、美しい絵面の見得を極めてみせます。』とあり、それぞれの役のことはまあまあわかるのですが、なんかごちゃごちゃしていて、歌舞伎3年生は、どこに目を向けたらいいのかわからないのです(^_^;)
「暗闇という設定だけど、みんな見えてるよね(笑)、ふわふわとした水中散歩の様相だなあ」と思ったりもしました(笑)
はい、まだまだ歌舞伎のお勉強が足りません(^_^;)
吉野山(よしのやま)
奈良県に住んでいてよかった、と歌舞伎を観るようになって、誇らしく思うことがあります(笑)
奈良の南の方にある吉野山は歌舞伎でもよく出てくる場所だからです。
実際、吉野山は春の桜、秋の紅葉など、絵になるような美しい山です。
歌舞伎の舞台に背景として描かれる吉野山は、実際のお山よりもずいぶんと美しさを盛ってくれているなあと思ったりもしますが(笑)
物語の始まりは、想い人義経を追って、静御前が吉野の山にやってくるところから。
静御前が玉三郎さん。お供の佐藤忠信(実は狐の子)を勘九郎さんが演じます。
なぜ狐の子がお供をしているのかと言うと、静御前は義経からもらった鼓を旅に持ち出しているのですが、その鼓に貼ってある皮の両面が、それぞれ、狐の子のお父さんとお母さんの皮なのだそうで(^_^;)
狐の子は、お父さんお母さんにくっついて旅をしているという設定です。
とにかく、玉三郎さんが美し過ぎます・・・。
ほーってため息が出てしまう。
勘九郎さんも濃い紫色の着物をすっきり着こなすイケメンです。
この演目のとき、勘九郎さんのお顔を見て『うつくしい・・・』と心の底から思いました。
二人碗久の玉三郎さん&勘九郎さんも美しかったことを思い出したりも(^_^)
静御前と忠信を追って、追手がやってきますが、忠信が蹴散らします。
忠信は立派なお侍さんなのですが、時々、本性である狐の顔がちらちら。それを手や足の動きと顔の表情で勘九郎さんが見せます。
鼓に頬擦りするような場面も。子どもが親に甘えているのだと思います。
この時の勘九郎さんはとてもかわいらしい。
追手は巳之助さんなのですが、踊りがとてもお上手です。
巳之助さんをしっかりと観るのも、今月が初めてかもしれません。
玉三郎さんが政岡を語る番組が26日金曜日23時から教育テレビであります。再放送は29日月曜日正午から。
歌舞伎の人間国宝、坂東玉三郎が女方の役の「心」を後世に語り継ぐシリーズ3回目。今回は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の政岡。幼い太守・鶴千代を息子の千松とともに命がけで守る乳人の役を語る。主君の乳母として決然とふるまう忠義の心とは。目の前で息子を亡くし、とりすがって嘆き悲しむまでの心の動きとは。役の心を探求し続ける玉三郎ならではの解説を舞台映像とともにお楽しみいただく。
助六曲輪初花桜(すけろく くるわの はつざくら)
揚巻(あげまき)という傾城(上級の遊女)が出てきますが、女形の大役中の大役です。
七之助さんは昔、浅草での若手の歌舞伎で揚巻を演じているそうですが、今回、お相手の助六を演じるのはなんと仁左衛門さん!
実年齢の差が40歳くらいあって、恋人役なんてできるのかなと思ったのですが、本当にお似合い!
仁左衛門さんが若々しいというのがあります。
かっこいい・・・ 惚れますよ(笑)
セリフや動きの緩急がしっかりしていて、かっこいいし何やら色っぽいのです。
これまた年齢差(笑)
お兄さん(勘九郎さん)が弟(仁左衛門さん)の行動を諌めるという場面があるのですが、仁左衛門さんが本当にしおらしくしているので、まったく違和感なしです(笑)
弟である仁左衛門さんは喧嘩っ早い役です。
お兄さんは「おまえはどうしてそんなに喧嘩ばかりするのか、親の仇を取るのを忘れたのか」と問います。
弟(仁左衛門さん)は、家に伝わる友切丸(ともきりまる)という失った宝刀を探すために喧嘩を売って、相手に刀を抜かせ、それが友切丸であるか確かめているのだと答えます。
「それなら私も!」と兄(勘九郎さん)も言い出すのですが、弟と違って穏やかな性格の兄。
喧嘩の吹っ掛け方を弟に教わります(笑)
でも、穏やかな性格のせいで、いまいちキマらない(笑)
兄弟の喧嘩の練習のところや、股くぐりをさせる場面がものすごく面白かったです。
七之助さんの揚巻は、貫禄ありました。
衣装もとても美しいです。イヤホンガイドによると揚巻の衣装は金の刺繍が施されているので40㎏あるのだそうです(^_^;)
揚巻の演じ方は、助六のお母さん役で出ている玉三郎さんからきっちり教わったのだそうです。
玉三郎さんの揚巻も観たいなあ。
自分の恋人(遊女でも恋人は別にいます)である助六の悪口を言う意休(いきゅうという名前の白ヒゲのおじさん)を相手に、我慢ならずに言葉で逆襲をするところがこの演目の見どころなのだそうです。
逆襲は言葉によって行われ、とてもユーモラスなのですが、イヤホンガイドの解説を聞いていると、ぐうの音が出なくなるほど痛烈です(^_^;)
意休は、揚巻を落とそうと吉原にせっせと通ってきて、貢いでくれる客なのですから、そんなに冷たくあしらわなくってもいいじゃん、と現代人の私は思ったりも(^_^;)
地味な着物を着ていて、最初、侍の恰好で編笠をかぶっているので顔は見えません。
友切丸を持っていないか確認するために、自分の母とは知らず、侍に喧嘩を吹きかける助六兄弟(^_^;)
笠の中を覗いたその時の仁左衛門さんと勘九郎さんの情けない顔が笑いを誘います。
玉三郎さんは息子の安全を思って、紙でできた着物を助六に着せます。
紙でできているために、ちょっとでも暴れたら着物が破れてしまう。
つまり、これ以上喧嘩をしないように、怪我をしないようにという母心です。
実は先ほどの意休が友切丸を持っているのですが、助六は紙でできた着物を着ています。
揚巻と成就できない意休からねちねちとした攻撃を受けるのですが、助六は紙の着物を着ているため、手も足も出せません。
意休は助六の素性をなんとなくわかっていて、「敵討ち頑張りな!!」みたいなことを言い、香炉台を刀で真っ二つにします。
その時に使った刀が、助六兄弟が探していた友切丸!
助六はいきり立って意休を追いかけようとします。
代わりに立ち上がるのが揚巻。血気盛んな助六を押しとどめるというところで、お話は終わります。
意思のはっきりとした女性を演じるのを見ると、七之助さんは女性の役だけどかっこいいなあといつも思います。
阿弖流為の時の立烏帽子(たてえぼし)もそうだし、最初に書いたマハーバーラタ戦記の鶴妖朶(ずるようだ)もそう。
マハーバーラタをどうか、シネマ歌舞伎にしてください!(2回目(笑))
他にいいなあと思ったのが、先月復帰された福助さんの息子さんの児太郎さん。
揚巻の妹分の白玉(しらたま)という傾城の役なのですが、存在感が抜群です。
お客(意休)に失礼なことを言う揚巻を優しく諌めたりもします(笑)
児太郎さんもお父さんが病気で倒れて大変だったと思うのですが、まだ24歳なのにしっかりしているなあと思います。(中村屋ドキュメントで、勘九郎さんの息子たちが桃太郎に挑んでいる月に、くずる息子たちの子守りを優しくなさっていたのを覚えています(^_^))
ちなみに児太郎さん、今の大河ドラマ 西郷どんで、天皇陛下の役をされていました(^_^)
そうそう。面白いことがありました。
助六に戦いを挑む朝顔仙平(あさがおせんべい)という役で、坂東巳之助さんが出てきます。
コミカルなお顔で、セリフも面白いのです。
一言一言の語尾に「、な」をつけるのですが、たぶん幼稚園くらいの男の子でしょうか。
巳之助さんのお顔とおもしろい動き方と、『な』が出てくるたびにケタケタと笑い、それが劇場内に響き、観客たちも笑うということが起こりました。
巳之助さんに伝わっていたらおもしろいのですけどね。
昼夜通して観た感想
勘三郎さんの追悼公演ということで、中村屋ゆかりの演目が並びました。
雪が降っている演目、桜が舞う演目、帯に七夕、節分の日の物語など、まったく季節感のない並びだなあと思ったりも(笑)
でも、どの演目も、勘九郎さん七之助さんは素晴らしかったなあと思います。
中村屋兄弟はずいぶんと上手になった、と、歌舞伎を長年観ている方からよく聞きます。
前にも何かに書きましたが、お父さんを失ったことで必死になった結果だったのか、またはお父さんがいたらもっとすごくなっていたのかは、誰にもわかりません。
私は勘三郎さんの演技を生で観ることは叶いませんでしたが、残された息子さんたちを観ることで、お父さんを観ることができているような気がします。
イヤホンガイドの中でも七之助さんがおっしゃっていた「父は僕の中に生きています」はまさにそれなのだと思うのです。
中村屋兄弟と同じ時代に生きていられてよかったなあと思う今回の追善公演でした。
決して大げさではなく(^_^)
とてもよい香りのお香が焚かれていました(^_^)
ご存命であれば63歳と聞くと、本当に早過ぎると思うのです。